セイタンと心理学的決定論
今、妹尾武治さんの「未来は決まっており、自分の意思など存在しない。心理学的決定論」を読んでいます。 難しくて、なかなか読み進まないのが現状です。
この本のp144あたりに、VRについて書かれていました。
この世は、神のVRではないのか?
我々は、神の遊びの何かではないか・・・ということが書かれていました。
読んでいくうちに(まだ途中ですが、)、
この世は、自分の自由意思などない世界であり、
その中で、もがき苦しみ、自由な選択という錯覚の中、人生を終えていくのかも・・・という感じがしてきました。
人には、自由意思などない!
これが重要なのです。
セイタンが、人の人生をビデオテープのように
結果が決まったものを観察しているだけの観察者だとしたら、私たちは、人生をどう見たらいいのでしょうか?
神は、高度な映画鑑賞やゲームで遊んでいるだけなのでしょうか?
妹尾武治さんの「未来は決まっており、自分の意思など存在しない。心理学的決定論」とセイタンには、何か共通点があると思いますが、うまく言葉にできません。
興味がありましたら、ぜひ心理学的決定論を
読んでみてください。
失礼します。
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